「たっちー」してた子が、タバコを買いに来た|現場に立つオーナーが客とスタッフに残すもの【現役オーナーのエッセイ】
先日、母店の夜勤に入って、レジに立っていたときのことです。
小さい頃から小学生くらいまでの子って、帰りがけに「またねー、たっちー」って、手と手を合わせてくれるんですよね。あの感じ、わかるでしょうか。その「たっちー」を、昔よくしてくれていた子が、久しぶりに来店したんです。覚えていてくれたんだなあと、それだけで嬉しくなりました。
ところが、その子がレジでこう言うんです。「オーナー、〇番のタバコください」。
昔の感覚のままだった私は、思わず「何言ってんだよ!」みたいな言葉を発してしまいました。そうしたら、「もう。23歳ですよ」と。——その瞬間、私は、お正月に久しぶりに会う親戚のおじちゃんの気持ちが、心の底からわかったのでした。
このささいな出来事は、その後、思いがけず「経営」と「人を育てること」について、深く考えるきっかけになりました。この記事は、そんな現場の一コマから感じたことを綴る、少し個人的なエッセイです。次のような流れでお話しします。
- 「たっちー」の子が、大人になって戻ってきた
- 変わらず在り続けることの、数字に出ない価値
- その「背中」を、スタッフも見ていた
- 言葉の指示と、背中で見せること——役割が違う
- 「やって当然」ではなく「貢献」として見る
- 背中に、ありがとうの言葉を噛み合わせる
15年現場に立ち続けてきた話はコンビニオーナーの本音と1日の働き方、人を育てる考え方はなぜ「言われたことしかできない人」になるのか・自分で考える人を育てる「一緒に考える」方法にも書いています。
第1章:「たっちー」の子が、大人になって戻ってきた
久しぶりの再会と、不意打ちの一言
夜勤の時間帯は、昼間に比べると、淡々と過ぎていくことが多い。そんな静かなレジに、ふらりと現れた、見覚えのある顔。すぐに思い出しました。あの、「たっちー」をしてくれていた子です。
私の中では、その子はずっと、あの手と手を合わせていた、小さな子のままでした。だから「オーナー、〇番のタバコください」と言われたとき、頭が一瞬、追いつかなかった。「何言ってんだよ!」——完全に油断していたところに、不意打ちを食らった感じです。
「もう。23歳ですよ」。その一言で、ようやく時間の流れを思い知らされました。

親戚のおじちゃんの気持ちが、本当にわかったんですよ。たまにしか会わないからこそ、前に会ったときの姿で、こっちの中では時間が止まってる。久しぶりに会うと「えっ、こんなに大きくなって!」ってなる。お正月に親戚の子に会うおじちゃんおばちゃんが、毎年同じこと言っちゃうの、あれと一緒です。「たっちー」してた子が、タバコを買う歳になって、しかも「オーナー」って呼んでくれて、わざわざうちの店に寄ってくれた。夜勤の淡々とした時間に、こういう瞬間があると、ああ、この仕事やっててよかったなあって、しみじみ思いました。
第2章:変わらず在り続けることの、数字に出ない価値
その子の中で、店は「変わらない場所」だった
この出来事には、コンビニ経営の、数字に表れない大切な価値が詰まっていると思います。
その子は、数あるコンビニの中から、わざわざうちの店に寄ってくれた。そして、私のことを「オーナー」と呼んで、覚えていてくれた。これは、その子の中で、うちの店が——そして、そこに立ち続けてきた私自身が——ずっと変わらない場所として、記憶に残っていたということです。
子どもの頃に通った店が、大人になっても同じ場所にあって、同じ人が立っている。それは、思っている以上に、人の心に残るものなのかもしれません。
「変わらないこと」は、立派な資産
経営の話をするとき、私たちはつい、売上だの粗利だの、数字ばかりを見てしまいます。でも、こうした「地域に変わらず在り続けること」「お客様の人生の景色の一部になること」は、数字には決して出てこないけれど、お店にとっての、れっきとした資産だと思うのです。
派手な集客施策よりも、15年同じ場所で、同じように店を開け続けてきたこと。その積み重ねが、ある日、「たっちー」の子を、大人になった姿で連れ戻してくれる。これこそ、長く現場に立ち続けた者だけが受け取れる、ご褒美なのだと思います。
第3章:その「背中」を、スタッフも見ていた
「昨日の夜勤、オーナーだったでしょ?」
さて、この夜勤には、もう一つ、後日談があります。
翌日、昼間のスタッフから、こう言われたんです。「昨日の夜勤、オーナーだったでしょ?」。私は驚いて、「なんでわかったの?」と聞き返しました。
すると、こういうことでした。手つかずになっていた商品がきちんと陳列されていたり、売り場や事務所が片付いていたりしたので、「これはオーナーだな」とわかった、と。
誰に言われたわけでもなく、気づいた商品を並べ、売り場を整え、事務所を片付けていく。その仕事ぶりに、まるで署名がしてあったようなものです。私は、自分が当たり前にやっていたことが、こんな形でスタッフに伝わっていたのか、と、なんだか不思議な、温かい気持ちになりました。

自分では、特別なことをしたつもりはまったくないんです。夜勤に入ったら、手の空いた時間に、手つかずの商品を並べて、散らかってるところを片付ける。ただそれだけ。なのに、それを見たスタッフが「昨日オーナーだったでしょ」って気づいてくれた。指示書には絶対に書けない伝わり方ですよね。このとき、ふと思ったんです。言葉や文字で指示や引き継ぎをするのも、もちろん大事だし欠かせない。でも、それとは別に、「背中で語る」じゃないですけど、オーナーがここまでやってるのを見て、「じゃあ私も、店のために何か少しでもやろう」と思ってくれるスタッフが育つほうが、経営においては、ずっとメリットが大きいんじゃないかって。
第4章:言葉の指示と、背中で見せること——役割が違う
文字は「基準」を作り、背中は「文化」を作る
このスタッフの一言から、私は「指示」と「背中」の関係について、考えるようになりました。結論から言うと、どちらが上という話ではなく、役割が違うのだと思います。
言葉や文字での指示は、最低ラインを揃えるものです。「これとこれは、必ずやってください」という、誰がやっても一定の水準を保つための、仕組み。これがなければ、店は回りません(人材育成における仕組みの大切さはコンビニ人材育成の完全ガイドにまとめています)。
一方、背中で見せることは、その最低ラインの上に、何を積むかを伝えています。マニュアルに「気づいたことは進んでやろう」と書いても、文字だと、どうしても薄っぺらく感じてしまう。でも、実際にやっている姿を見せられると、「自分もやろう」と、自然に芽が出る。
つまり、文字は「基準」を作り、背中は「文化」を作る。私は、そう整理しています。
| 言葉・文字の指示 | 背中で見せる | |
|---|---|---|
| 役割 | 最低ラインを揃える | その上に何を積むか |
| 作るもの | 基準(仕組み) | 文化(空気) |
| 例 | 「これとこれは必ずやる」 | 黙って売場を整える姿 |
どちらも必要です。でも、文字の指示だけでは、人は「言われたことだけ」をやる店になる。背中が加わって初めて、その上に「自分から動く」文化が育っていきます。
第5章:「やって当然」ではなく「貢献」として見る
経営的に強いのは、「文化」が回り出したとき
経営的に本当に強いのは、たぶん、この「文化」が回り出したときです。指示待ちではなく、一人ひとりが「店のために」と、小さな判断を積み重ねてくれる状態。これは、指示の量をいくら増やしても作れません。見せ続けることでしか、育たないのだと思います。
そして、その文化を育てるうえで、私自身がいちばん大切にしたいと気づいたのが、スタッフの働きを、どう「見る」かということでした。
同じ出来事を、「貢献」として受け取る
今回、スタッフが手つかずの商品に手を付けてくれていた。これを、こう受け取ることもできます。「ここまでやってあるから、私は楽だ」。——でも、私はそうではなくて、こう思ったんです。「私が残した細かなやり残しに、手を付けてくれたんだな。スタッフに恵まれているなあ」と。
同じ一つの出来事でも、見る向きが、逆なんですよね。前者は「やってもらって当然」。後者は「相手の貢献」として見えている。そして、この目線の違いが、実は、スタッフが動いてくれるかどうかを、大きく左右するのだと思います。「やってもらって当然」という空気の店では、人は最低限のことしかやらなくなる。でも、自分の働きを、ちゃんと「貢献」として見てくれる人の下では、「もう少しやろうかな」という気持ちが、自然と湧いてくる。
スタッフの側にも、同じ「向き」がある
そして、もう一つ大事なことに気づきました。この「向き」は、スタッフの側にもあるのです。
「オーナーがここまでやってくれているんだから、私たちは楽できるね」と、ぼーっとしてしまうスタッフもいる。でも、私のまわりにいてくれるのは、そうではなくて——「私たちにも、他にできることがあるはずだ」と、自分から仕事を探してくれるスタッフなんです。同じ「オーナーがやってくれている」という状況を前にして、出てくる反応が、まるで真逆。前者は「楽できる」へ、後者は「他に何ができる」へ向かう。私は後者の人たちに、本当に助けられているし、支えられているなあと、しみじみ思いました。
同じ向きを向いた者同士が、上乗せし合う
そして、これはたぶん、偶然ではないんですよね。私が「やってもらって当然」ではなく「やり残しに手を付けてくれた」と見る人で、スタッフのほうも「楽できる」ではなく「他にできることを探す」人。お互いが、相手の働きに乗っかるのではなく、「相手がやってくれたぶん、自分も」と動いている。同じ向きを向いた者同士が、上乗せし合っている感じです。これが噛み合うと、店は、いい循環に入っていく。
おもしろいのは、こう書いている私自身が、心から「助けられている」「支えられている」と感じていることです。経営者というと、つい自分が支える側、引っ張る側だと思い込みがち。でも実際は、私もスタッフに支えられている。雇う・雇われるという上下ではなく、同じ店を回している仲間——そのフラットな感覚が、たぶんスタッフの「一緒にやっている」という気持ちにも、つながっているのだと思います。リーダーの目線がチームを作るという話は信念がブレるとチームもブレるにも通じますが、結局、人が店のために動いてくれるのは、こちらが上から見ていないからなのかもしれません。

いちばんありがたいのは、「オーナーがやってくれてるから、私たちは楽できるね」じゃなくて、「私たちにも、他にできることがあるはず」って、自分から仕事を探してくれるスタッフがいることなんです。同じ状況でも、向きが真逆でしょう。そういう子たちに、本当に助けられているし、支えられている。経営者なんだから自分が支える側だ、なんて思い込んでいたけれど、ぜんぜんそんなことはなくて。雇う・雇われるの上下じゃなくて、同じ店を回してる仲間なんだなって。そう思えること自体が、ありがたいなと思うんです。
第6章:背中に、ありがとうの言葉を噛み合わせる
背中で語るのは、気づいてくれる人がいてこそ
最後に、一つ大事なことに気づきました。背中で語るのが効くのは、それに気づいてくれる人がいてこそだ、ということです。
今回のように、「昨日オーナーだったでしょ」と声をかけてくれるスタッフがいる。その気づきに対して、こちらも何も返さなければ、もったいない。だから私は、「よく気づいたね」と、自然に返せるようになりたいと思ったんです。
難しい言葉はいらない。今思ったことを、そのまま
「よく気づいたね」「昨日のあれ、片付けといてくれたんだ。ありがとう、助かったよ」。——難しい言い回しを覚える必要はなくて、今、心の中で思ったことを、そのまま声に出すだけ。今回で言えば、私の中にある「私のやり残しに手を付けてくれたんだよね」という気持ち、それを言葉にすればいいだけなんですよね。
背中(行動)で文化を見せて、言葉(承認)でそれに気づいた人を認める。この両方が噛み合ったとき、店の文化は、もっと強くなる。最初はちょっと照れくさいかもしれないけれど、何回か言っているうちに、きっと体に馴染んでくる。今日のこの気持ちを忘れないうちに、次に顔を合わせたとき、一言かけてみようと思います。会話が店の付加価値を作るという話は店舗運営の付加価値は会話でつくられるにも書きました。お客様への会話も、スタッフへの一言も、根っこは同じなのかもしれません。
よくある質問(FAQ)
Q1. オーナーが現場に立ち続けることに、意味はありますか?
A. 数字に出ない大きな価値があります。長く同じ場所に立ち続けることで、お客様の記憶に「変わらない場所」として残ります。子どもの頃の常連が大人になって戻ってくる——そうした関係は、派手な集客施策では作れない資産です。
Q2. 「背中で語る」と「言葉で指示する」、どちらが大事?
A. どちらも必要で、役割が違います。言葉の指示は最低ラインを揃える「基準(仕組み)」を作り、背中で見せることはその上に積む「文化(空気)」を作ります。基準がないと店は回らず、文化がないと人は言われたことしかやりません。
Q3. マニュアルに「気づいたら動こう」と書けば十分では?
A. 文字だけでは、薄く伝わりがちです。「気づいたことは進んでやろう」と書いても実感が湧きにくい。でも、オーナーが黙って売場を整える姿を見せると、「自分もやろう」と自然に芽が出ます。文字で基準を、実物で文化を伝えます。
Q4. スタッフが自分から動く店は、どう作る?
A. 指示の量ではなく、見せ続けることで育ちます。一人ひとりが「店のために」と小さな判断を積む文化は、指示を増やしても作れません。オーナーの背中を見せ続け、その働きを認めることで、少しずつ育っていきます。
Q5. スタッフがやってくれたことを、どう受け止めればいい?
A. 「やって当然」でなく「貢献」として見ることです。同じ出来事でも「ここまでやってあって楽」と見るか「やり残しに手を付けてくれた」と見るかで、向きが逆。貢献として見てくれる人の下で、人はもう少しやろうと思えます。
Q6. 「やってもらって当然」の空気は、なぜよくない?
A. 人が最低限しか動かなくなるからです。働きを認められない店では、頑張る理由が生まれません。逆に、自分の貢献をちゃんと見てくれる人の下では、自発的に動こうという気持ちが自然に湧いてきます。
Q7. 「よく気づいたね」が照れくさくて言えません。
A. 難しい言葉はいりません。今思ったことをそのまま言うだけです。「昨日のあれ、片付けといてくれたんだ。ありがとう、助かったよ」で十分。何回か言ううちに体に馴染みます。今日の気持ちを忘れないうちに、次に一言かけてみてください。
Q8. 背中で見せても、気づいてもらえないこともありますよね?
A. だからこそ、気づいてくれた人を大切にします。背中は、気づく人がいてこそ効きます。「昨日オーナーだったでしょ」と声をかけてくれる人がいたら、その気づきを言葉で認める。背中と承認が噛み合うと、文化はもっと強くなります。
Q9. 忙しくて、背中を見せる余裕がありません。
A. 特別なことは不要です。手の空いた時間に、手つかずの商品を並べ、散らかりを片付ける。それだけで十分伝わります。新しい時間を作るのではなく、普段の動きの中に、その姿があればいいのです。
Q10. このエピソードから得られる、一番の学びは?
A. オーナーの存在そのものが、客にもスタッフにも残るということです。変わらず立ち続ける姿はお客様の記憶に、黙って働く背中はスタッフの行動に残ります。そして、その働きを「貢献」として見て、言葉で認めることが、人の育つ店をつくります。
まとめ:現場に立つオーナーが、客とスタッフに残すもの
夜勤のレジで再会した「たっちー」の子は、もう23歳。15年同じ場所に立ち続けたからこそ、その子の中で店は「変わらない場所」として残り、わざわざ戻ってきてくれました。これは数字に出ない、立派な資産です。そして、その「変わらない背中」は、お客様だけでなくスタッフも見ていました。「昨日オーナーだったでしょ」——片付いた売場が、署名のない署名になっていた。言葉の指示が「基準」を作るなら、背中は「文化」を作る。さらに、スタッフの働きを「やって当然」でなく「貢献」として見る目線が、人を動かす。そして、その「向き」はスタッフの側にもあって、「楽できる」でなく「他にできることを探す」人が、自分から動いてくれる。同じ向きを向いた者同士が上乗せし合うと、店はいい循環に入り、オーナー自身も「支えられている」と感じる——雇う・雇われるの上下でなく、同じ店を回す仲間として。長時間労働や休みのとりにくさは、正直、避けがたい。だからこそ、今日のような気分のいい日を、少しずつ積み重ねていきたいのです。
この記事の要点
- 15年立ち続けたから、「たっちー」の子が大人になって戻ってきた
- 変わらず在り続けることは、数字に出ないお店の資産
- その「背中」を、スタッフも見ている(片付いた売場が署名になる)
- 言葉の指示は「基準(仕組み)」、背中は「文化(空気)」を作る(役割が違う)
- 経営的に強いのは「文化」が回り出したとき(指示の量では作れない)
- スタッフの働きを「やって当然」でなく「貢献」として見る
- その「向き」はスタッフ側にもある(「楽できる」でなく「他にできることを探す」人に支えられる)
- 同じ向きの者同士が上乗せし合うと、店はいい循環に入る
- オーナーも支えられている=雇う/雇われるでなく「同じ店を回す仲間」
- 「よく気づいたね」と承認し、こうした「気分のいい日」を積み重ねていく
次のアクション
- [ ] 手の空いた時間に、黙って売場や事務所を整える(背中で見せる)
- [ ] スタッフの「他にできることはないか」という動きに気づく
- [ ] その働きを「やって当然」でなく「貢献」として受け止める
- [ ] 「昨日のあれ、ありがとう」「よく気づいたね」と言葉にして返す
- [ ] 自分も「支えられている」=同じ店を回す仲間、という感覚を持つ
- [ ] こういう「いい日」を流さず、ちゃんと味わって積み重ねる
- [ ] そのためにも、まず自分が元気でいられるよう体を大事にする
このブログ内の関連記事
オーナーの働き方・生き方
人を育てる(育成2部作)
会話・接客の付加価値
参考|公式情報
人材育成や、働きがい・定着のある職場づくりの考え方は、公的機関の情報も参考になります。
- 厚生労働省|人材開発(職業能力開発)(OJT・背中で見せる手本=育成の基礎)
- 厚生労働省|人材確保対策(雇用管理改善・魅力ある職場づくり)(働きがい・定着=貢献を認める職場づくり)
夜勤のレジは、静かです。お客様もまばらで、時間がゆっくり流れていく。そんな中で、ふと現れた「たっちー」の子の成長に驚き、翌日にはスタッフの一言に胸を打たれる。派手なことは、何ひとつ起きていません。でも、こういう小さな瞬間の積み重ねこそが、コンビニ経営の、本当の手応えなのだと思います。
お客様にとっては、変わらず開いている、変わらない場所であること。スタッフにとっては、黙って店を整える、その背中であること。そして、誰かの小さな働きを、「当然」ではなく「ありがとう」と受け取れること。
どれも、売上の数字には、一行も出てきません。けれど、こうした目に見えないものの積み重ねが、人に愛され、人が育つ店を、静かに作っていくのだと、私は信じています。
正直に言えば、コンビニ経営は、長い時間働くことも、休みが思うようにとれないことも、多々あります。しんどい日のほうが、数としては多いのかもしれません。だからこそ、今日のような気分のいい日を、少しずつでも積み重ねていきたい。「毎日こうであれ」ではなく、「こういう日を、増やしていけたら」と。狙って作れる日ではないけれど、起きたときに、流さずに「ああ、いい日だったな」と受け取れるかどうか。その積み重ねが、また次のいい日が芽生える土壌になる気がしています。スタッフを貢献として見て、感謝を言葉にしようとする——日々まいているそんな小さな種が、たまに花になって返ってくる。今日は、その花の一つだったのだと思います。
「たっちー」の子が、また何年か経って、ひょっこり顔を出してくれたら。そのとき私は、変わらずそこに立っていたいなと思います。そして隣には、私の背中を見て育ってくれた、頼もしいスタッフがいてくれたら——これ以上の幸せは、ないですね。そのためにもまず、自分の体を大事にしながら、また明日も、店に立とうと思います。



